中志段昧の地名調べ

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中志段昧の地名調べ

野田美幸(守山高校・中志段味)

 守山高校の東に広がる田んぼは、小字の他にいろいろな呼び名があります。父が、「五反田の溝さらいの時、たぬきの死がいを見つけた」とか、「今日は井戸の本の田植えだったから、明日茶畑だな」とか言っていたのだけれど、それがどこのことなのか地図を見ても書いてないので分かりません。だから、調べてみました。同じ呼び名もありましたが、それぞれの家によって同じ場所でも違った名があって興味引くものでした。自分の家の田畑とはなれた場所の名は小字名で呼んでいました。

 すもう場とか、すもう場の下と呼ばれている場所は蟹原の一部で、上水道の残土でうめたてられてしまいましたが、お祭りにすもうをほうのうして、沢山の人がすもう観せんに来たそうです。

 諏訪神社の下の川は大溝といい、蟹原では五反田溝、宮前では山の下、守高あたりから才井戸流と名を変えています。

 我家のビニールハウスのある場所は、字沢田ですが、三反田と呼んでいます。だいたい三反(30a)あるからだそうです。

 天白・元屋敷の辺りの畑は、郷畑(郷田)と言うのですが、茶畑は茶、桑畑は桑が植わっていたのに対し、「郷とはなんだろう」とずっと分からなかったのだけれど、今回、この地名調べをして「町のことを郷」と言うのだと知りました。昔、天白・元屋敷の辺りに村があって、たびたびの洪水のため高台に神社ごとうつったことは知っていましたが、郷畑(郷田)のなぞがとけてうれしかったです。元屋敷には元、お屋敷があった。宮前はお宮の前と字を見れば分かりますが、宮浦だけは変だと思いました。浦が表裏の裏ではないのです。バス会社の人が、富士塚のふじを富士山の富士ではなく、藤の花の藤と間違えたように、これも間違いだと私は思いました。

 諏訪坂の下にわき水がでている所があります。そこで、冬、氷を作り、夏に売っていたということ、すもう場の辺りに戦争中防空ごうを掘ったのだけど、井戸のふかさと同じくらいだったようで、水が出てしまい、もう少し上で掘りなおしたということ。そのしっぱいした防空ごうのきれいな水で、わさびを作ろうとしたけどだめだったこと。高蔵寺のだん薬庫をめがけて落とした爆弾が、西荒古、上寺林に落ちて、落ちた所を見てた人、直げきをくらった人の話、を聞きました。毎日のようにテレビの中で人が死に、人の死をよろこび、笑うこの世の中に、人の死に直面した人たちはかなしそうでした。いろんなことを聞くことができて、そして将来のためになるであろう地名調べができて、私の知らない隠れたこの土地を、この土地の歴史を知ることができて本当によかったです。


出典:『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第31号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1992年6月10日、9-11・14ページ。

注:本稿は、1992年当時に高校生だった野田美幸氏が、地元の人に聴き取りをして地名を調べたレポートです。それから27年が経ち、この一帯は区画整理で大きく様変わりしました。本人が書いたとおり、「将来のためになる」地名調べとなりました。地図をクリックすると、大きな画像が開きます。なお、冒頭の写真は、今回新たに加えました。

写真説明:「おうら」「井戸の本」(地名は地図を参照してください)。下り坂の右側で人が囲んでいる場所が湧水点。この日、住民本位で区画整理を考える会の主催で見学会「志段味の古墳を見て歩こう!」が開催され、ここが見学コースの終点でした。1982年7月18日(日)、犬塚康博氏撮影。

世話人会

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